小樽が北海道経済の中心だった時期がある。
その歴史遺産が現在の運河や銀行の建物、倉庫街だ。
そもそも小樽とは?
北海道の開発は、1855年の函館開港に始まる。1859年に函館港は国際貿易港となり、明治初期には北海道の中心は函館であった。
その後、北海道の開発は進み、1899年に小樽港が国際港となり小樽が北海道経済の中心になる。小樽周辺の炭鉱から鉄道を小樽港に敷設、小樽港から石炭が出荷された。
このころ、小樽には全国から炭鉱労働者、港湾労働者が集まった来た。また、物流がよくなったことでニシン漁も盛んになり全国から「ヤン衆」と呼ばれたニシン漁の季節労働者が集まった。
日銀小樽支店など多くの銀行が集積し「北のウォール街」と呼ばれ、北海道の物流の中心となり、日本郵船小樽支店や倉庫街も建設された。
小樽の衰退
昭和にはいると、ニシン漁が不漁となり衰退した。昭和30年代から小樽周辺の炭鉱も衰退しはじめ、1989年に閉山となった。
北海道の経済中心が札幌に移り小樽の経済も衰退。各銀行の小樽支店も閉店。
観光都市「小樽」として復活
1987年、小樽運河に散策路、ガス灯が整備され、ノスタルジックな北の港町として観光客に人気となる。倉庫街もレストランやオルゴールなどのアンティックショップとなった。
北海道の海鮮や港町の連想から「小樽寿司」が全国的に有名となった。
小樽港とは?
小樽港は貨物港が中心で漁港の水揚量は少ない。
平成26年全国主要漁港取扱高
釧路港 13万トン
根室港 12万トン
函館港 3万トン
小樽港 2万3000トン(平成24年)
小樽港の水揚げ3万3000トンのうち1万4000トンは「ホッケ」
北海道人の味覚
北海道の赤飯には「甘納豆」が入っている。寒いと味覚が鈍るので、北海道の味付けは全般的に味は甘く、濃い傾向にある。
寿司のシャリも甘い感じがする。
まとめ&補足
小樽の人口は明治初期 2,000人
1964年ピーク 20万人
1980年 18万人
2000年 15万人
2015年 12万人
小樽の人口は減少し高齢化している。
地元民が減少しているので、小樽の寿司屋で食べているのは、ほとんど観光客になっている。
観光客ばかりになるとシーズンオンとオフの売上の差が大きくなるので、シーズンオンのときに値段を高くして売上を上げるしかない。
小樽は北海道でも日本海側で雪が多い。冬の雪のときに地元民が寿司を食べに行くだろうか?
大正、昭和30~40年ころまでは、小樽も栄えていて、漁港の水揚げも多かったから、寿司も美味しかったかもしれない。
赤酢を使う地元で有名な寿司屋も行ったが、もう一度行きたいとは思わない。
地元民は駅前の500円ランチの店で行列している。地元の人間が食べない料理は、やはり廃れていくのかもしれない。
観光客しか食べない料理はどこでも高くてまずいものになる。
小樽は、全国から港湾労働者や炭鉱夫が集まってきた街なので、すし屋も無礼、値段が高い、不味いというのは当然のことだろう。